すごく尊敬しているひとがいる。
もう話さなくなって久しいけれど、そのひとの考えていること、いまの生きかたを風の便りで知る。
なんともいえない気分になる。
なんだか胸が苦しくなる。
そのひとは(誰もがそうであるように)決して完璧ではなくて、(誰もがそうであるように)自分でもそれを自覚している。
そして、その上で、自分のありかたとか、やるべきこと、やりたいことを、見つめて、実現しようとしている。
それが苦しみをともなうことだとしても、いや、それは実際、苦しみをともなうことが多いのだけれども、逃げない。
あ、逃げたこともあるかも。
でも、逃げていた逃げている逃げそうになっている自分も見つめて、それでもそれに打ち勝って進もうとしている。
弱いけれど、弱さと闘うことのできる強いひとだ。
今、海外にいる。
2001年の春からこの春まで、履歴書の文面だけは私と同じだ。
でも、その同じ履歴の裏にある5年間は、全く違う。
2001年、私はあの大学で何をしていたんだろう。
2002年からいままで、この大学に入って何をしてきただろう。
自分の経験が、何も価値を持たないというわけではない。
でも、そのひとの進むさまを風の便りで知るたびに、はっとする。
自分のありかた、すべきこと、したいと思っていることと向き合わされる。
なまくらな自分がくやしくて、はずかしくて、それで胸が苦しくなる。
環境が変われば、自分も変われる。
私はいつもそうやって逃げる。
なにも今考えなくとも、社会に出れば、働き出せば、すべてが解決するとか、そんな甘っちょろいことを考えていてはなにも進歩しない。
まためっきがはがれてしまった。